<先代の頃から変わらない店内で高田さんは「気を張らずに入れるような店にしていきたいです」と語る>
下町風情が残る福岡市博多区の路地裏で「入船食堂」は60年以上にわたって営業を続けています。店のたたずまいも名前も“町の食堂”そのものだが、のれんをくぐるとそこはラーメン店だったのです。
7年前に店主の高田英輔さん(38)が義母から引き継ぎ、老舗に新たな歴史を刻んでいます。
10席ほどしかない店内には低めのテーブルとイス。漫画本が並び、テレビからはワイドショーが流れています。
高田さんは「ほとんどが引き継いだ頃のまま。このアットホームな雰囲気が好きでしたから」と語ります。
地元に愛され、ともに歩んできたことが感じられる店ですが、高田さんが作るのは地元によくある豚骨ラーメンではありません。
「家系(いえけい)」と呼ばれる横浜発祥の太麺と合わせた豚骨しょうゆラーメンで勝負しているのです。
というのも高田さんは横浜市出身です。20歳の頃に飛び込んだのが近所にあった人気家系ラーメン店だったのです。
接客、麺上げ、スープ作りと懸命に働いて、バイトから社員に抜てきされました。
ただ、ラーメンの作り手として自信を付けるにつれて自分の思いと会社の思いにズレも生じてきたのです。4年間働いた後に「このままではだめ。他の店も経験してみたい」と横浜の中華そば店に転職したのです。
その選択が運命の分かれ道となりました。
2003年、転職先の店が福岡市の商業施設「キャナルシティ博多」にある「ラーメンスタジアム」に半年限定で出店することになったのです。白羽の矢が立った高田さんは、縁もゆかりもなかった福岡に向かいました。高田さんの一杯は、黄金色のスープに水菜、ウズラの煮卵、厚めのチャーシュー、のりが載ります。
一口すすると豚骨の濃厚なコク、鶏油(チーユ)の甘みが広がり、それをしょうゆがキリッと引き立てるのです。
縮れ麺をかみ込むと、みずみずしさと小麦の香りが交互に感じられて、心地いいです。
「博多の人たちの温かさが気に入ってしまって」。店がラーメンスタジアムから撤退した後も福岡に残った高田さん。27歳の頃に飲食業の知り合いに誘われて、中洲でラーメン店を出店しました。
そこにアルバイトで来たのが妻となる理恵さん(34)だったのです。
「営業は深夜まで。家族を大事にしたかった」と結婚を機に店を離れました。
その後、07年に理恵さんの実家の入船食堂で昼だけラーメンを出すようになり、翌年完全に引き継いだのです。
家系は全国的にブームとなっています。
一方で細麺豚骨が主流の九州では苦戦する店も少なくありません。
そんな中でも根強い人気を誇る入船食堂。その裏側には、トッピングのほうれん草を水菜に変えたり、博多に合わせて甘めのしょうゆを使ったりという試行錯誤があったのです。
高田さんは「変わらなきゃというより、生き残っていくためには向上しないとだめなんです」と言います。
老舗を引き継いだからこその覚悟にも聞こえたのです。
西新に復活、ミラクルな味 未羅来留亭(福岡市早良区)
<「今でも7割が昔からのお客さんです」と語る浦田誠二さん>
リヤカー部隊で知られる西新商店街(福岡市早良区)の一角に未羅来留(ミラクル)亭はあります。
西新で産声を上げ、長年親しまれてきたが、移転や休業の曲折も経験した。この地に復活したのは1年半前です。店内でおいしそうに麺をすすっていた自営業、矢野雅也さん(36)は「戻ってきてくれてうれしい」。
そんなファンに支えられている老舗なのです。
創業者の浦田誠二さん(64)に聞くと、ラーメンとの出合いは25歳のころとのことです。
大学を辞め、将来に迷っていた時、親戚に頼まれて福岡市にあった札幌みそラーメンの専門店で働き始めました。
「最初は嫌々。でもやってみると嫌いじゃなかった」。4年ほど働くと独立を考えるまでになっていたのです。その際「当時のみそラーメンブームが下火だったから」と宗旨変えを決意します。
市内の豚骨ラーメン店で作り方を習って、前身となる「友心亭」を同市博多区にオープンさせたのです。
昆布や玉ネギで取った元ダレです。豚の頭蓋骨とゲンコツ(大腿(だいたい)骨)でコクを出すのです。
あっさりさせるために鶏がらを加えます。
豚と鶏の比率は9対1。友心亭では試行錯誤を繰り返して、今の味の原型を作り上げたのです。
そして1982年、自身の地元である西新に店を構えます。
店名は「ほかにはないミラクルな(驚くべき)味の店」の意味を込めた。暴走族風の当て字のようでもあるが「そんな過去はありませんよ」と笑います。
昭和の頃の西新商店街は今以上ににぎやかでした。
「とにかく人が多い。すぐに繁盛しました」と振り返ります。
開店4年後には商店街が大火に見舞われたが、再建を果たし、西新になくてはならない店となったのです。
2012年11月のことです。西新の店を閉め、福岡市中央区平尾に移転する旨の張り紙を店に掲げました。
「60歳を過ぎて体も疲れていたし、マンネリ化した部分もあったのかもしれません」と浦田さん。
厨房には引き続き立ったものの、経営権を知人に譲るなど営業形態を大きく変えました。
想定通りにはいかず、数カ月で閉店に追い込まれてしまったのです。
休業中、西新の街を歩くと昔の常連客から「そろそろやらんですか」と声を掛けられます。
そんな後押しもあり「このままでは終わりたくない」と気持ちが固まるのです。
ずんどうや釜を買い直し、13年12月に今の場所で営業を始めました。
かつての店舗から数十メートル離れた場所での再スタートだったのです。
復活した一杯は、かつてのような茶褐色のスープ。濃厚なタイプではないが、軽やかな豚骨ダシをしっかりと感じられる味です。「骨をあまり炊き込まない。煮出した骨は取り除く」のがその決め手だというのです。
「場所が変わると水が違います。だから味も変わる」とも言います。確かに最初の西新、移転先の平尾で食べた味とどこかが違うのです。ただ、フレッシュな豚骨ダシのおいしさ。ほかにはない“ミラクル”な味はしっかり残っていました。