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4坪店で探し求めた勝負味 すごい煮干ラーメン凪(東京都新宿区のお店です)


「煮干しラーメンと言えば凪と言われるようにブランドを確立したい」と語る生田智志さんです。
東京都新宿区歌舞伎町1の1の10。すごい煮干ラーメン820円。ご飯150円。
24時間営業で年中無休。03(3205)1925。
戦後の闇市に始まって、近年は個性的な飲食店が立ち並ぶ東京・新宿のゴールデン街。
その一角で「すごい煮干ラーメン凪(なぎ)」はスタートしました。
店の扉を開けると煮干しの濃厚な香りが漂ってきます。この店は近年ブームになっている煮干しラーメンの火付け役の一つなのです。
約4坪の狭い店内で創業者の生田智志さん(38)に話を聞くと、紆余曲折のラーメン人生があったのです。
北九州市出身で高校卒業後、警察官を目指して専門学校に通いながら人気ラーメンチェーン「一蘭」でアルバイトを始めました。
働きぶりが評価されて22歳で社員になって、警察官の夢は諦めるのです。
その2年後には東京・六本木店の立ち上げでエリアマネジャーに抜てきされました。
ですが、27歳で退職を決意します。
「仕事がマンネリに陥って。完成品ではなく、自分で作ったものを食べてもらいたかった」ということです。
2004年9月、ゴールデン街に「ラーメン凪」を開きました。とはいえ友人がやっていたバーの週1回の定休日に間借りする変則営業です。
ラーメン店2軒でバイトを掛け持ちしながら、自宅でスープを作って、鍋ごと抱えてバスで運んだのです。
しょうゆ、豚骨など毎週違うラーメンを提供する珍しいスタイルで、いつしか行列ができる人気店になっていました。
「その時の1番人気が豚骨だったんです」。そこで豚骨一本に絞って、渋谷に支店を構えたのは06年です。
煮干しまでたどり着くのはもっと後のことです。
「まずは一杯を」とラーメンをいただきました。1人前で20種類、計60グラムの煮干しを使ったスープをすすると強烈な風味が口に広がります。
縮れ麺はもちもちした食感・・。しょうゆの香ばしさも顔を出すのですが、その奥にはやはり煮干しのうま味がどっしりと構えているのです。
「2年くらい豚骨をやったけど、またマンネリを感じだしたんですよ」と生田さんは続けます。08年、当時は渋谷店をメーンに仕事をしていたのですが、原点のゴールデン街に戻って新たな味の開発に乗り出したのです。1人で店に立ち、客を相手に味探しです。そして勝負をかけたのが煮干しでした。
「青森で食べた煮干しラーメンに衝撃を受けた。九州のうどんにもいりこは入ってますから、違和感はなかったですね」
それ以来、改良を重ねました。10年にはキャナルシティ博多(福岡市)のラーメンスタジアムに期間限定で出店したのですが「当時の味は今とは別物です。どんどん煮干しの味を強めていった」と言うのです。今の味が出来上がったのは3年前。いずれは福岡にも出店するという野心を持つようになります。
「煮干しは、種類、産地、とれた時季で味が変わります。日本中から取り寄せて、勉強しています」。マンネリには陥っていないようです。
 

関西老舗の味、福岡で守る 天天,有(福岡県粕屋町)

二人三脚で店を切り盛りしてきた高木文博さんと公子さん夫婦。「味は変えるな」という師匠の言葉を守っています。
福岡県粕屋町大隈409。ラーメン500円、キムチラーメン600円、チャーシューメン650円。営業時間は午前11時~午後8時半。定休日は木曜日。092(938)1463。
京都の「天天有」と関係あるんですか? 関西出身者や在住経験者からしばしば聞かれるそうです。
福岡県粕屋町の県道沿いに店を構える「天天,有(てんてん ゆう)」店主の高木文博さん(50)はこう答えています。「身内の店です」
京都の天天有といえば1971年に創業して、鶏がらスープが人気の老舗です。
高木さんは粕屋町の生まれで縁はなさそうですが
「妻の実家が大阪の店を経営。京都の創業店は義父の兄が始めたんです」と教えてくれました。
 高校卒業後に就職し、大阪でサラリーマン生活を送った。大のラーメン好きで、当時付き合っていた妻、公子さん(52)の実家にも食べに行ったのです。「鶏がらだけど、九州の人にも受け入れられるような懐かしさもある味」というのが第一印象。店は大繁盛し、結婚を前提に付き合ううちに、洗い場などで手伝いもするようになっていました。
89年に結婚。それから4年ほどたったころに転機が訪れたのです。「父親が亡くなって、母親を一人にできないので福岡に戻ろうと決めたんです」。勤務先に転勤を願い出たが認められなかった。そこで思いついたのがラーメンだったということです。「豚骨ではないので、逆にいけるかも」。義父に「やりたい」と告げると二つ返事で受け入れてくれました。大阪店で1年間の修業を経て、1994年に福岡県篠栗町に店を構えた。29歳での再出発だったのです。「小さい頃からラーメンが好きだったけど、まさか作るようになるとはね」。高木さんはそう言いながら一杯を差し出してくれました。
鶏の足、頭、小骨の3種を7、8時間煮込んだというスープは豚骨と見まがう白濁色です。
一口すすると、とろりとした口当たりで、鶏の甘みとうま味が舌を包み込みます。スープとよく絡む中細麺も一気に完食。最後は「義父直伝」という卓上のニラキムチを投入。味の変化を楽しみながらスープを飲み干しました。
 「仕込みも忙しい。最初はいやでしたけど、夫が『やる』と言うから」。ラーメン店の苦労を身に染みて知る公子さんはそう振り返ります。高木さんは「あっという間に20年以上がたった。いろいろあったけど、よう付いてきてくれた」。はにかみながらパートナーに感謝したのです。