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マー油が香る唯一無二の味 好来(熊本県人吉市)


マー油は2日間かけて作る。「焦げ付かないよう、火加減を調整したり、混ぜたりと手間がかかります」と吉村毅さん

メニューはラーメンだけです。案内された席に座ると、注文を告げることなく目の前に丼が配膳されました。ただその一杯を間近にすると思わず「おおっ」と声が漏れるのです。山のように盛られたモヤシ。そして真っ黒なスープ。「好来(ハオライ)」(熊本県人吉市)が創業したのは1958年です。店主、吉村毅さん(71)の父、隆さんが始めました。
その5年ほど前、隆さんは当時住んでいた熊本市で屋台の雇われ店主としてラーメン稼業に足を踏み入れます。独立後、妻の古里の人吉で屋台を出して、半年ほどで今の店と同じ場所に店舗を構えたのです。
「いらっしゃい」という意味の店名は満州から引き揚げてきた親戚がつけてくれたのです。
一方、吉村さんは中学卒業後に熊本市の製麺所に就職して、技術を身に付けた後、開店から2年遅れで父親の元に戻っていきます。スープは父、麺は息子。人吉にラーメン店は数えるほどしかなく、人気も出ました。
吉村さんは「今の味と全然違いますけど」と言います。
豚骨に鶏ガラ、キャベツなどを加えた“普通”の白濁スープだったそうです。経営も順調。しかし、大きな試練が訪れました。
「おやじが保証人になっていた借金をかぶることになってね」。約40年前のことです。返済のために隆さんは店を手放しました。吉村さんは別の仕事も考えたのですが、10代からラーメン一筋で「自分にはそれ以外なかった」。借金をして店を買い戻し、店主として再出発したのです。父親が担っていたスープ作りも引き継いだのですが、同じものは作りませんでした。「とにかくインパクトが欲しかった」
モヤシやチャーシューを箸でよけて、スープをすすると焦がしたニンニクの香ばしさが広がります。さらに奥から和風だしのような風味も追いかけてくるのです。そして250グラムという麺の量にも驚きます。博多ラーメンの並は普通100グラムちょっとなので2倍以上です。硬めにゆでられた中太麺の食感を楽しみながら食べ進めると、あっという間に完食していました。
製麺所時代には熊本市の老舗にも配達していたのです。熊本ラーメンの特徴であるニンニクを使うことは自然な流れだったのかもしれません。ただ、好来は一般的な熊本ラーメンとは全く違うのです。ラードとごま油でニンニクを焦がしたマー油と豚骨、鶏ガラを混ぜたスープは見た目も味も唯一無二です。「インパクトが強すぎて最初はダメという人も、3回来れば癖になりますよ」。吉村さんは不敵な笑みを浮かべました。
個性的な味にひかれて、弟子入りを志願する人も多いのです。全国的に有名な「なんつッ亭」(神奈川県)、福岡市で人気の「博多新風」の店主も吉村さんに習い、巣立っていきました。

おやじの背に学んだ麺上げ ふくちゃんラーメン(福岡市早良区)

定位置で麺上げをする榊伸一郎さん。壁際には父、順伸さんが使っていた灰皿がそのまま置かれていた

ある祝日の午後9時前、閉店間際というのに行列が続いていました。ほかの店なら驚くのですが、ふくちゃんラーメン(福岡市早良区)では普通の光景です。店内からは香ばしい豚骨のにおいとともに、小気味のいい音が漏れてきた。カンカンカン、カンカンカンカン。
店に入ると、その正体が麺上げの音だと分かるのです。厨房に立つ店主の榊伸一郎さん(41)は、注文に合わせ麺を鍋に入れる。
ゆで加減をみながら麺をすくって、ザルを鍋の縁に「カン」と打ちつけて湯切りをするのだ。
程なく一杯が運ばれてきた。なみなみと注がれたスープをすすると元だれの香味と豚骨のうま味です。
2種類のブレンドというスープは、豚骨だしに奥行きが感じられ、絶妙なゆで加減の中細麺とも良く合うのです。
定時を過ぎて閉店です。
ようやく店の歴史を聞けた。創業は1975年、榊さんの親戚、福吉光男さん(故人)が同区百道に店を開いたのです。
福吉さんは市内の老舗「しばらく」で修業を積んだ職人だったのですが、数年で体調を崩したため、榊さんの父、順伸(よりのぶ)さんに声が掛かったのです。
だが、ラーメンとは縁遠い営業マンです。
80年に店を引き継いだものの、売り上げは伸び悩んだのです。
小学生だった榊さんは「おやじは風呂にタオルを浮かべて麺上げの練習をしてました」と振り返ります。
転機は89年のアジア太平洋博覧会(よかとぴあ)です。会
場となったシーサイドももち界隈は開発ラッシュに沸いて、近くの「ふくちゃん」にも工事関係者たちが詰めかけたのです。
その頃には、努力を重ねた順伸さんの麺上げは職人技となり、試行錯誤を重ねたスープも「自分の味」に到達していたのです。
ところが今度は人気店ゆえの問題が生じました。
違法駐車が多く、近隣から苦情が出たのだ。94年、やむなく現在の場所に移転した。
「父の定位置だったんですよ」。榊さんは、厨房の釜に目をやりました。
移転して9年後の2003年、順伸さんは病に倒れて、翌々年に68歳で他界しました。
榊さんは大学生の頃から店を手伝っていたのですが、釜の前での麺上げは父の仕事です。
突如「神聖な場所」に押し出されて、たじろぎました。
堂々とした今の立ち姿からは想像できないが最初は客を前に緊張して顔も上げられなかったそうです。
気温、湿度、客の入り具合によってスープは変化します。常連の麺の好みも把握する。「一つ一つの目配りを大切にしています。
『先代に似てきた』と言われるとうれしいし、この場所に立つと今でもおやじが後ろにいるのではないかと思うんです」と言います。
店内に1枚の絵が掛かっています。
15年ほど前、客だった画家、三浦吉十さん(故人)に描いてもらったのです。
榊さん親子が厨房で肩を組んでいる絵だ。「店では厳しく、肩なんて組んだことはないです。でも私生活ではすごく仲がよかった。三浦さんにはそれが見えたんでしょう」