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ラーメンと中華そばは違う?


ラーメンと中華そばを同じと理解している人たちは多くいます。実際に何か違うかもしれないけど、まあそれ程間違えても逮捕される訳ではありませんし、まあいいかという感じでしょうか。しかし、せっかくここでこの記事を読んでいらっしゃるのですから、真実を知っていただきたいと思います。

でもラーメンという言い方と、中華そば、そして支那そばというものがありますが、そのような区別した言い方をしなければイメージが沸かないと言う人たちもいますし、美味しさが自分もうまく判らないという人たちもいます。そのような人たちにとって、しっかりその言葉にまで、スープが染みこんでしまったという感じでしょうか。しかし、イメージであり、きっと理由を聞けば何が違うか正確に答えることなんて出来ないでしょうね。

ラーメン屋、中華そば、支那そば別に区別をする必要はない

ラーメン、中華そば、支那そば別に同じで、区別なんてする必要はありませんという人たちもいます。「支那」「中華」、更に南京という人たちもいますが、それは、全部中国の蕎麦と言うことを表しています。「柳麺」「老麺」という言い方をすることもあり、全部一緒です。そして、日本は戦後を迎えて、 支那という言い方は極力されなくなり、中華そばという言い方がされるようになります。しかし、それぞれ全く同じと言うことではなく、まだまだ情報がインターネットでしっかり収集出来ない時代、それぞれの地域でそれ程統一性もなく、それぞれの名前が使用され成長して行ったという感じではないでしょうか。東京は一般的に支那そばと呼ばれていたようです。戦後にオープンしたお店は、ほとんどが中華そばと名乗っていたようです。しかし、別に中華そばと名乗る必要はなく、別に違う名前で営業をしても別にお国から咎められるということではありません。

私達が求めているラーメンとは何か

そして、中華そばの一方ではラーメンというものがあり、ラーメンが何かと言えば、いろいろな説があり実際にこれが正しいということがなかなか言えないようです。ラーメンと名乗るようになったのは、昭和33年に発売された世界初の即席麺「チキンラーメン(日清食品)」以降という説もあります。ということは、ラーメンの歴史はそれ程古い訳ではありません。

もう一度言いますが、別に名前だけの問題であり、ラーメンも中華そばも同じものを指しているのです。

中華そばの歴史

まず、ラーメンの先祖的存在のラーメンがどのような歴史を辿って来たのかということをお話ししましょう。中国において、麺生地を金属片でそぎ落としながら茹で湯に放り落とす「刀削麺(とうしょうめん)」というものや、麺生地を二本の棒に巻きつけて引っ張って伸ばしていく「索麺(さくめん)」など多様な麺があります。ラーメンのルーツは、やっぱり日本に留まるものではなく、中国に求めていかなければなりません。そして、日本のラーメンの原型となった麺は 麺生地を延ばして何層かに折り畳み、包丁で麺状に切る「桿麺(かんめん)」と、麺生地を手で引っ張りながら伸ばして麺状にする「拉麺(ラーミェン)」です。

日本では、麺を手打ちできる職人がなかなか育たず、機械製麺となっています。日本でももう少し文化が違っていれば、麺を職人が作ることから、麺文化をしっかり捉えることが出来たかもしれませんが、現状日本における麺文化は、極々シンプル化したものとも言えます。横浜や函館に伝わった当初、スープも豚や鶏のダシに塩を加えた程度の本当にシンプルなものであり、シンプルゆえ、長い年月の間に、日本的ないろいろなアレンジが加わったとも捉えることが出来ます。

なぜ、ラーメンと言うのか

今までお話しして来た中で、既にラーメンの語源らしきものは登場して来ています。日本のラーメンのルーツは、中国麺の「桿麺(かんめん)」と、麺生地を手で引っ張りながら伸ばして麺状にする「拉麺(ラーミェン)」であり、拉麺(ラーミェン)がラーメンとなったというのが一番理解出来ます。そして、拉麺、ラーミェンは、最初もしこれが語源だとしてもラーメンではなくらーめんなのです。そして、もう一度振り返っていただきたいですが、日清のチキンラーメンが登場して、らーめんがラーメンとしてはじめてカタカナ語が使われたようです。

しかし、実際にラーメンの語源は、拉麺(ラーミェン)だけではありません。ラーメンの語源にはいろいろな説があり謎はまだ残されています。中国語で「そば」の意味の「老麺・ラオシェン」が変化したという人たちもおり、これもかなり信憑性は高いのではないでしょうか。しかし、まだまだ拉麺(ラーミェン)の説を取りたい気持ちもありますが。

そして、更に大正初期、札幌北大前の竹屋食堂にひとりの中国人コックがおり、いつも「ラー! ラー!」と返事していたことより、そのコックの作るめんを「ラー・メン」と言ったという説があります。