ラーメンに関する最新ニュースはラーメンニュース

ラーメンニュースは、新聞・通信社が配信するニュース提供元からラーメンに関する最新情報のほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。



中津の老舗、意外なルーツ 宝来軒(大分県中津市)


<「味を落としたくない」と別府市や大分市などにあるフランチャイズ店のスープも全て本店でつくっている>
かつて大分県宇佐市の宇佐支局で勤務したことがあります。
その地域で誰もが知っているほどの老舗といえば隣接する中津市の宝来軒だったのです。
県内外にフランチャイズやのれん分け店を出すなど大分を代表すると言ってもいいお店ですが、再訪して話を聞くと意外なルーツがあったのです。
JR中津駅で降り、駅前のアーケード商店街を数分歩くとその路地裏に宝来軒本店はあるのです。
山平政雄さん(故人)が創業したのは1958年。大分県で初めてのラーメン店は、54年に日田市にできた「来々軒」とされているので、県内でも屈指の歴史を持つのです。
山平さんの義娘、順子さん(74)とその長男、直寛さん(45)が店の始まりを話してくれたのです。
山平さんは福岡県朝倉市の生まれです。もともとすし職人だったのですが、戦後さまざまな仕事を模索するなかでラーメンでの商売を思いついたのです。
兄が土地を確保していたという理由で場所は縁もゆかりもなかった中津にしたのです。
なぜラーメンだったのか?直寛さんは「祖父の甥(おい)が博多でラーメン屋をやっていたからでしょうか」と答えてくれたのです。甥とは博多ラーメンの草分け的存在である山平進さん(故人)。戦後間もない頃、進さんは知人の津田茂さん(故人)とともに中国のスープ料理を参考に豚骨ラーメンを完成させました。
進さんは「博龍軒」、津田さんは「赤のれん」を福岡市にそれぞれ開業し、博多ラーメンの源流となったのです。
「スープは五右衛門風呂の釜で炊いてるんですよ」。直寛さんは言います。焦げ付くのを防ぐために牛骨を一番下にして、豚骨と鶏がらを加えるらしいのです。かつて博龍軒の進さんの妻、ミヨ子さん(85)を取材した際に聞いた作り方と似ています。
「博龍軒を参考に祖父がオリジナルな味を確立していったようです」と付け加えたのです。
配膳された丼から黄土色のスープをすくい口に含んだのです。しょうゆだれの香ばしさとともに、牛、豚、鶏を煮出した甘めで丸みのある味わいが広がりました。確かに博龍軒とも赤のれんとも違うスープです。
合わさるのは極細麺です。創業当初は両店と同じような平麺を使っていたが、スープとの相性を考えて変えたというのです。
58年10月の創業当初は客があまり来ず、廃業することも考えていました。
「ラーメンなんて誰も知らない時代でしたから」と順子さんです。しかし、食べた人から口コミで広がったのか、年が明けると急激に客が増えました。最盛期は1日千杯を超えるほど売れ、今でもその人気は衰えていないのです。
博多がルーツだが、半世紀以上にわたって親しまれてきました。
「今となっては中津の味。こちらの人がかわいがってくれてますので、この味を落とさないようにしたいです」。
順子さんはそう語りました。

中津の老舗、意外なルーツ 宝来軒(大分県中津市)
<「味を落としたくない」と別府市や大分市などにあるフランチャイズ店のスープも全て本店でつくっている>
かつて大分県宇佐市の宇佐支局で勤務したことがあります。その地域で誰もが知っているほどの老舗といえば隣接する中津市の宝来軒だったのです。県内外にフランチャイズやのれん分け店を出すなど大分を代表すると言ってもいい店ですが、再訪して話を聞くと意外なルーツがあったのです。
JR中津駅で降りて、駅前のアーケード商店街を数分歩くとその路地裏に宝来軒本店はあるのです。
山平政雄さん(故人)が創業したのは1958年です。
大分県で初めてのラーメン店は、54年に日田市にできた「来々軒」とされているので、県内でも屈指の歴史を持つのです。
山平さんの義娘、順子さん(74)とその長男、直寛さん(45)が店の始まりを話してくれました。
山平さんは福岡県朝倉市の生まれです。もともとすし職人だったが、戦後さまざまな仕事を模索するなかでラーメンでの商売を思いついたのです。
兄が土地を確保していたという理由で場所は縁もゆかりもなかった中津にしたのです。
なぜラーメンだったのか?直寛さんは「祖父の甥(おい)が博多でラーメン屋をやっていたからでしょうか」と答えてくれました。
甥とは博多ラーメンの草分け的存在である山平進さん(故人)です。
戦後間もない頃、進さんは知人の津田茂さん(故人)とともに中国のスープ料理を参考に豚骨ラーメンを完成させました。
進さんは「博龍軒」、津田さんは「赤のれん」を福岡市にそれぞれ開業し、博多ラーメンの源流となったのです。
「スープは五右衛門風呂の釜で炊いてるんですよ」。直寛さんは言います。
焦げ付くのを防ぐために牛骨を一番下にして、豚骨と鶏がらを加えます。
かつて博龍軒の進さんの妻、ミヨ子さん(85)を取材した際に聞いた作り方と似ています。
「博龍軒を参考に祖父がオリジナルな味を確立していったようです」と付け加えたのです。
配膳された丼から黄土色のスープをすくい口に含みました。
しょうゆだれの香ばしさとともに、牛、豚、鶏を煮出した甘めで丸みのある味わいが広がりました。
確かに博龍軒とも赤のれんとも違うスープです。
合わさるのは極細麺です。創業当初は両店と同じような平麺を使っていたが、スープとの相性を考えて変えたというのです。 
58年10月の創業当初は客があまり来ず、廃業することも考えていました。
「ラーメンなんて誰も知らない時代でしたから」と順子さん。しかし、食べた人から口コミで広がったのか、年が明けると急激に客が増えた。最盛期は1日千杯を超えるほど売れ、今でもその人気は衰えていません。
博多がルーツなのですが、半世紀以上にわたって親しまれてきました。「今となっては中津の味。こちらの人がかわいがってくれてますので、この味を落とさないようにしたいです」。順子さんはそう語りました。