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ラーメンの味作り、経営手法は全て独学というお店


百貨店のサラリーマン時代に父親が経営するFCのラーメン屋が傾いてきたことがきっかけで、実家に戻りラーメン業界に入りました。
修行なしの全て独学でラーメンの味作り、経営手法を学び店舗展開を開始したのです。
業績不振の時代もあったものの、毎回その要因を分析し改良を重ねながら現在では10店舗を展開するまでに成長しました。
今では、セントラルキッチンを完備し国内での店舗展開と海外進出を目標としているとのことです。

株式会社オーファス
・代表取締役 小川 厚志 氏
・経営店舗 :らーめん専門店小川本店、高幡不動店、厚木店、昭島店、しょうゆのおがわや橋本店、小宮店、北野店、小川流二本松店、八王子みなみ野店、厚木棚沢店

百貨店のサラリーマンから父のFCラーメン店へ

もともと父が脱サラをしてフランチャイズでラーメン屋を20年前に始めたんですよ。
その時、私は百貨店でサラリーマンをやっていました。父は商売がそんなにうまくなくてラーメンも美味しくなかったのです。それで、案の定傾いていきました。

その当時、私もサラリーマンを辞めて半年後の1995年に父と一緒にFC店を25歳で始めたのがラーメン屋をやり始めるきっかけでした。別にラーメンも好きではなかったし、どちらかというと炒飯を食う感じの人間だったのです笑

FC店から自分ブランドの立ち上げ

ですから、味だけで勝負するのはきついので、百貨店での接客や意匠性などで勝負しようと思っていました。
しかし、ある日お客さんがうちのラーメンを食べている時の口の動きが「まぁまぁ」という言うのを見てしまい、それがきっかけで「やっぱり味で勝負しないとダメなんだな」っていうことに気づきました。
FCを辞めて30歳で2000年の1月に「小川」っていうブランドを立ち上げたのです。

実際にFC店の場所で屋号を変えて10月に今の橋本店(本店)をリニューアルオープンしました。
私はその時のラーメンを美味しいと思っていたんですが、試作と実際の営業で食べるのとでは全然味が違うのですよ。でも、それを知らなくて、時間が経つとスープが劣化していきますし、廃棄するとロスが出るしで、ロスを出さないためにそれを使うとお客さんが離れてしまうし、もうその時だけはさすがにラーメン屋の経営を辞めようかと思いましたよ。

麺屋こうじグループを経て42歳でラーメン開業! 自分の幸せよりスタッフの幸せが一番大切

フランス料理、八百屋の仲卸など様々な経験を経て「麺屋浩二グループ」の門を叩きました。
味の追求だけでなく人間性の大切さを学び、田代氏に認められて42歳の時に「麺屋一燈」を開業オープンしました。
オープン日から250人を超えるお客さんが来店する繁盛店になって、今でも1日300人以上が来る人気店となっています。
スタッフ達の幸せを一番に考えた経営に注力しているとのことです。

株式会社夢をかなえる
・代表取締役 坂本 幸彦 氏
・店舗:麺屋一燈、ラーメン燈郎、豚骨一燈

42歳で「麺屋一燈」をオープン

「麺屋一燈」をオープンした時は42歳でした。最初にラーメン屋に携わり始めたのは30歳で、そのお店は有名なラーメン屋さんでアルバイトとして1年ほど修業をしていたのですけど、自己資金が足りなくて一回断念したんですよ。
その後、家を継いだりサラリーマンをする中で、最終的には「やっぱり飲食で商売をしたい」と思ったのです。
その理由は、僕は高校卒業してからフランス料理のコックとして働いて、その時にお客さんに喜んでもらえるのがすごく嬉しかったこともあったのです。
ですから、飲食店の中で幅広い層に食べて頂ける食がいいと思った時にたどり着いたのがラーメン屋だったのです。
それに、初期投資が安いというのもあって、ラーメン屋を開業することに決めました。

高校卒業後フランス料理へ

高校卒業後に入らせてもらったフランス料理屋さんは学校からの採用では絶対採らない店だったのですが、先生に話を通してもらったら運よく受かることができて、18歳から4年間くらい働いていました。
その時に、そのレストランを経営している会社がアラスカにロッジを経営していた絡みもあってええ、会社の業務命令でそこに泊まりに来るお客さんの料理を作るためにアラスカに2ヶ月間働きに行ったんです。
アラスカの人はお客さんがチェックアウトした時に一切掃除をしないんですよ。普通、日本人なら掃除を直ぐにするでしょ?その価値観の違いがとても面白くかったですね。

「運」、自分にはそれがあった! 40歳までに10店舗展開を目指す

退学続きのやんちゃ時代。どうしようもない学生時代を経て、役者の道へ進むも芽が出ず、挫折しました。
夢に破れて職を探すのですが、自分に合う仕事を見つけることができずに、辞めてばかりの日々が続いていました。それがなぜか「日の出らーめん」は長く続いて本部長まで昇格したのです。
そして29歳で自分のラーメン屋を独立開業。運に恵まれ2年間で3店舗のラーメン屋を展開し店のプロデュースをするほどになりました。40歳までに10店舗経営する会社になることを目標としているとのことです。

株式会社 熱血
・代表取締役 横田 晃一 氏
・経営店舗 : 家系ラーメン藤澤家、鶏豚大将、横浜番長